わーままタイムズ(仮)

出産、授乳期のことなどをメインに、5歳児と7歳児との暮らしのことなど。

【レビュー】『どうか忘れないでください、子どものことを。』

 

心に響いた個所を本文より抜粋

 

●乳幼児期に親が子供を喜ばせることをし、子供が喜ぶのを親が喜ぶことが「喜びを分かち合う」体験となり、子どもがその体験をたくさんすることで人の悲しみもわかるようになる。社会の中で人といきいきと交わりながら生きていく力、それを子供のころからの接し方でいかに成熟させていくか。それはとても大切な事。

●乳児期、お母さんは子どもが喜ぶことをしてあげてください。

●だまって好きなものを出すよりも「何が食べたい?」と希望を聞いてあげましょう。子どもに問題が起きてそれに気づいたお母さん、小学生だろうが中学生だろうが遅すぎることはありません。乳幼児期に足りなかったかもしれない、という部分に気づいたら大きくなってからできるだけ追加してあげたらいい。例えば、食べたいものを作ってあげる。何度でも。「食べたいといったものを作ってあげたよ」「欲しい、と言ってたから買ってきてあげたよ」という応え方をするのはとてもいいことです。

●教育者にならないで。親は絶対的な保護者であってほしい。叱ることはとても簡単、待つことはとても難しい。待つことが叱ることよりとても大切。

●短い時間を大切に。「〇〇ちゃんが喜んでくれるとお母さんとても嬉しいな」「〇〇ちゃんの顔を見ると元気になる」

●だた一つ、お母さんに望むことは、やさしさ。プライドをもって優しくしてあげてください。小さい時に与えうる限りのやさしさを与え、それでよろこぶ子供を見て喜んで欲しい。外で許されない子どもも家庭では許してください。家庭とは、他のどこにもないほどに居心地の良い場所だ、ということだけを子どもに伝えてやれたら、それでいいのです。

 

感想:どんなことがあってもどんなに忙しくてイライラしていたとしても「ムカつく」「イラっとする」など人を傷つける言葉を子どもに向けて言わない。ゆっくり歩いて少し後ろをついて来るような時は、立ち止まり、迎えに行ってあげよう。決して「早くして」なんて言わないでおこう。時間がないのは私のせい。辛いなら仕事を変えればいい。子どもが一番大切なはず。今が一番大切なはず。

 

 

繊細な子ども

これまで折に触れて感じてきたことがあり、それはやがて確信に変わりつつあります。わが息子は、心が繊細なようです。優しいというか、「かわいそう」と思うとしくしく泣くのです。最近の出来事でいうと、保育園で使っている歯ブラシとコップ、毎日持ち帰るものです。その日はなぜか歯ブラシたてに息子のがなくて、持ち帰りませんでした。本人が帰る支度をしたので私も帰宅後にそれに気づいた次第です。理由を聞くと、無かったから、とのことでした。「誰かがもって帰ったのかな?」と気にしていたので、「見つけきらなかっただけかもしれないよ、歯ブラシ立てに残ってるかもしれないから明日見てみよう」という話をしました。励ましたつもりだったのですがそのあとに「さみしいさみしい歯ブラシの子、歯ブラシの子はさみしいよー」と私が絵本のワンシーンを替え歌にして口ずさんだことが息子を傷つけてしまい、泣かせてしまいました。保育園に一人残された歯ブラシがかわいそうだ、と。夫に言うと、「歯ブラシが無くてしょんぼりしてるのに傷口をえぐるようなことはしなくていいやん…」と言われ、ハッと気がついた次第です。私の無神経…発言には気を付けようと思いました。繊細な子にはそれ相応の接し方があると本で読んだことがあります。忘れているので再読しようと思いました。

医療費控除の結果

還付金は合計25000円ほどでした。あまり期待していなかったので、そんなもんよ…と割りきっておりました。ところが二ヶ月ほどたった今日、税務署から通知が来て、控除となった過去年月分の市民税の過払い分を還付します、とのお達しがありました。合計55000円。これには驚きました。医療費控除を申請してよかった、ありがたやありがたや。あとひとつ期待するのは保育料です。これはもう少し先になります。

【レビュー】『内向型人間の時代』

「ああ、私ってなんでこんなに人付き合いが下手なのだろう…」と、これまでずいぶんさびしい思いをしてきました。過去最高に衝撃的で辛かった出来事は、会社の忘年会に出席した日の晩の事。浮ついた騒がしい空間の中で3時間も、本当は全然楽しくないのに楽しいふりをして人の話を「うん、うん」と聞いて、気を遣いまくって疲れ果てて帰ってきた自宅で、あまりの虚しさに号泣した事です。なんであんなに虚しくて悲しくて、死にたいくらい孤独だったのだろう。ずーっとずーっと記憶に残る事件です。

 

あれから10年くらい時は流れました。今でもわいわい騒ぐイベントは嫌いです。あの記憶を鮮明に思い出すけれどそれが理由じゃなくて、相変わらず人がたくさん集まってワイワイ騒ぐ空間に身を置くことが辛いのです。「しょうもない冗談を言ってテキトーに楽しむ」ことができないのです。ただただ、コミュニケーションスキルが低すぎるし、よくわからないきっと分かり合えないような性格が全く違う人(だいたいいつも、オープンで豪快で社交的な人)が怖いのでしょう。ただ嫉妬していただけなのかも。

 

そんなこんな。この本を読みました。内向型ってよく聞くし良いイメージでは語られなかった印象。だけどそれには良い面がたくさんあるようです。自分は内向型だとわかってすっきりして、これからは「こういう人なのだ」と自分を受け入れて、ありのままで生きて行こうと思うに至りました。できるだけ背伸びせず、楽しいことにフォーカスして、ありのままでいられるように。

 

生きている中で、外向型でいるべきシーンもありますが、そこはスイッチを切り替えて上手に生きていければいいなと思います。そういえば、ここぞという時は外向型に振る舞ったりする時もあり「自分は二重人格か?」と思うこともありましたが、スイッチのオン・オフをしていただけなのであれば納得。例えば初対面の人と接するときは頑張っちゃうわけです。でも、だいぶエネルギーを消耗するし、中身が伴っていなくて無理してるな~と頭の半分で冷静なことを考えている自分がおります。しかも頑張るのは最初だけだから、「あれ、こんな人だったの?」と思われてると思います。さらにさらに、社交的な人といると社交的に振る舞おうとしちゃうので、それだけでずいぶん無理しちゃうのです。(←要するにこれだ。)とにかく、これを読んだからには前向きに生きて行こうと思った次第です。

 

内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力

内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力

 

 

【レビュー】『「あなたにはずっといてほしい」と会社で言われるために、いますぐはじめる45のこと』

マンネリで面白くない、私じゃなくても誰でもできる事ばかり、あーあつまんない、仕事やめよっかな、自宅で出来る仕事を探そうかな…

 

と思っていました。私も以前は。でもね、部署というチームの中の自分の役割が見えてきたら考え方が変わったんです。「秘書検定」の勉強をして知りました。秘書の基本姿勢。それだけで日々のストレスが若干減りました。まだこれからだな、、、って前向きになれました。さらに今年の目標は秘書検定をひとつ取得して、ビジネス文書検定もひとつ取得すること、に決めました。これが意外と楽しく勉強できています。同時進行でトライしているのは、エクセルの関数とマクロを使って業務の改善を試みていること。とにかく前向きに。今の会社にはいられるだけ長くいたいと思っているので、何か一つでも多く貢献したいと思いまして。

 

45個のなかで「私はできている」と思えるのはわずか10~15個程度でした。それでも何より一番肝に銘じておこうと思ったのは「いつもご機嫌で安定している人」でいること。35歳にもなると真顔が怖くなります。なので意識して口角を上げてご機嫌な表情で、気分も穏やかに安定させていこうと思います。無理な時もあるでしょうが、目標です。

 

二人育児をしてみて思ったこと。子供が一人の間は一般事務が退屈で暇な時間が泣くほど辛かったのです。それでも辞めなかったのは「やめるのはいつでもできる、とりあえず続けときな」という周りの方からの励ましがあったからですが、プライベートが忙しい今、依然として同じ一般事務ですが退屈だとは感じなくなりました。状況が変わったことで「雇ってくれてありがとう!」と思えるようになりました。そして暇な時にここぞとばかりにエクセルデータの改善をして過ごしています。部署の中の限られた人が使うエクセルデータですが、少しでも便利になれば…と思いまして。今はエクセルの関数が楽しいです。

 

 

通勤服を上下各2着に限定してみた

タイトルの通り、通勤服を限定してみました。

勤め先は私服通勤オッケーですが、私自身が30代半ばになり子育てもあって意識の変遷がありました。 

出産前「通勤服なんてなんでもいい。カジュアルで、短パンにレギンスもあり、ひざ上スカートも好き」(20代をひきずっていたのかな・・・?)

育児休暇から復帰~1年程「自転車だしカジュアルでいいや。膝は出したくないしやはりズボンが安心できる。育児中だし何でもいいや、時短勤務だし通勤途上は誰とも遭わないから~」(何を着ても許されると思っていた。もはや若くないし、自由感は半端なくある)

30代半ば「なんだか最近野暮ったい。ガチャガチャと色がたくさんあるし。遊びじゃないんだからきちんとしなくては。全身で3色に絞る?そんなことできる~?コーディネートをあれこれ考えるのはめんどくさいから大人な組み合わせで通勤専用服を決めよう。」

 

…という気持ちの流れを経て、今年の春頃から上下各2着に限定してくるくると毎日着まわしています。とても楽ですし、野暮ったくありません。はじめは、毎朝会う保育園の先生に何か思われるかな?と気にしましたが、今は全く何も思いません。思われていようがいまいが、どうでもよいのです。そうです、どうでもよいのです。「どうでもよい」って素晴らしい。気にならないってすばらしい!

そして夏という季節のおかげで全身が3色にまとめられています。靴と鞄が買い替え時期なので、色をどうするか考えているところです。

 

本日より7月になりましたが、個人的におすすめなトップスはやはりノースリーブです。カラッとした気持ちの良い今の時期、とても気持ち良いですよ。私は6月から着始めていました。少し肌寒い時もあるのでカーディガンを持ち歩いています。今の通勤服トップスはイエロー、ネイビーです。どちらともノースリーブで、カーディガンを肩に引っ掛けるスタイルで通勤しています。パンツは白、薄いピンクの2着です。

 

今気になっている本があります。「手持ちの服は似合うベースカラー3色に統一するとコーディネートが楽ですよ、おしゃれに見えますよ、あなたに似合う3色を見つけましょう」と書かれている本です。著者の方のブログをちょっと覗きまして、ぜひ読んでみたいと思いました。今の手持ち服もそうですが、買うものってだいたい色物を選んでしまいます。そしてコーディネートで全身に何色も使ってしまいごちゃごちゃするんです。通勤の時にとても恥ずかしくなります。勉強しなくては…

 

 

【レビュー】『母という病』

私の実母も毒親かもしれない、、、と思ったのは長男を出産した後のことでした。

 

実母のことで悲しい思いをしたり、苦しい思いをしたり、歯がゆい思いをしたり、精神的自立を阻害するような過干渉に腹を立てたり、、、 。実母はだいぶ特殊で、働き者だったり気遣いが行き届くので周りの評価は良いようですが、ずーっと一緒にいなきゃならない身内には精神的負担を与える人です。家族で性格が一人だけ違うのでしょうか、ただ相性が悪いだけなのか、私が執着して嫌悪しているだけなのかよくわかりません。長い親子関係のおかげで原因追及における感覚が麻痺しています。とりあえず受け入れられない人格、許せない過去がある、過干渉が不愉快すぎる、、、ということは事実です。「私の世話を焼くな!」という強い思いはずっとありました。大学進学と共に実家を出ました。そして結婚が決まったとたん実母だけが500キロ離れた私の住む市内へ生活の拠点を移してきました。父から離れたかったのが一番の動機でしょう。それまではドライな母娘でしたがその時から私に対する執着(依存?)が始まったように感じます。私の出産を機に何かと世話を焼いてくれる実母に、ただ「祖母として世話をしたいんだろうな、助かることもあるし、やりたいようにやってもらおう、それも親孝行」という思いで母親の親切を受け入れてきましたが、育児に介入、不愉快になると意地悪い発言や行動などの副産物ももたらされました。私も嫌悪感が増すと意地悪いことを言いました。子供のいないところで衝突が絶えませんでした。「母とムスメ」という縛りもあり本音に蓋をして実母を受け入れてきましたがストレスもありました。最近になり、ムスコが「ばーちゃん嫌い、家に来ないで」と言うようになり、ばーちゃんをグーで叩くことがありました。母とばーちゃんの不自然なコミュニケーション(会話をしていても目と目を合わさない、私が合わせたくないのと実母の方も合わせてこない)に気づいたのか、ばーちゃんの一方的なコミュニケーション(孫の話すことが右から左であまり聞いておらず、自分の言いたいことばかり話す)が嫌になったのかはっきりとはわかりませんが、とりあえずムスコに嫌われる我が実母。うーん、息子と実母の関係を取り持つべきか。。。とここでもまた「母とムスメ」に縛られて苦しい思いをしました。が、自分のメンタルヘルスを一番に考えることにしました。毎週来てもらっていたところを「ムスコがこういう状態だから、今日は来なくていいよ」とやんわり断り、それ以来連絡も途絶えています。実母の助けがなくても何とかなってたんだ、と気が付きました。おかずだって頑張れば一週間作れるし、多少自宅が散らかっていても気にしなければいいし、核家族化で幼児期に両親以外の人との関わりが心配される点は保育園がカバーしてくれるし。連絡が途絶えている今のところ、心が穏やかで実母の不安は影を潜めています。そしてその間、自分の中の母親との関係のトラウマを解決したくて、メンタル相談所に行ってみました。過干渉な母親、思い通りに動かしたくて子供を脅かす母親、先回りして世話を焼きたがる母親、外堀を埋めるようなことをする母親、言うことを聞かなければ言葉で攻撃する母親。いづれも私の実母です。学生時代は疑問に思っていませんでしたが、大人になった今は同じことをされると嫌悪感で思考回路がぐちゃぐちゃになります。夫(私の父)が冷たいから、ムスメ(私)に依存している気がします。父も「近くにいるんだからお母さんを頼りなさい、そのために送り出したんだからね」的なことを言って私を苦しめます。頼れだって?縁を切りたいくらい嫌いな人に?切りたいのに切れない苦しみがわかりませんか?二人兄妹で兄も見放した母親は私の方へやってきた。その苦しみがわかりませんか?私も見放して遠くへ行きたいものです。

 

本を読んで自分のことを顧みるいい機会になりました。スタート地点に立てたように思います。甘えるのが下手なのも、人との間に必ず壁を作ってしまうのも、オレオレ的な人がたいそう嫌いなのも、飲み会がとても寂しくて辛いのも、目の前のトラブルにまったく思考がストップしてしまうのも、一因は育った環境のトラウマにあると思います。過去を思い出して悲しくなります。あと、母親っていうのは何かしら娘を苦しめるものなのかな?という疑問もわきました。私も娘を苦しめるのかな?という一抹の不安はありますが、その気持ちを忘れずに家族を守っていきたいです。親は親、自分は自分。それから私とは違う価値観の家庭で育った主人にはとても助けられています。それなりに母親に対して思うことはあるみたいだけど健全な親子関係を築いているし、私にはとても救いです。結婚相手はよく選んで、良好な親子関係の相手と出会えると、人生は好転すると思います。「母親との関係が不幸なおかげで、それ以外がすべて幸福です」と思うようにしています。長々とネガティブなことを書き連ねてスミマセン。こういう人もおりますのでどなたかの救いになれるのであれば幸いです。

(017)母という病 (ポプラ新書)

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