わーままタイムズ(仮)

出産、授乳期のことなどをメインに、5歳児と7歳児との暮らしのことなど。

通勤服を上下各2着に限定してみた

タイトルの通り、通勤服を限定してみました。

勤め先は私服通勤オッケーですが、私自身が30代半ばになり子育てもあって意識の変遷がありました。 

出産前「通勤服なんてなんでもいい。カジュアルで、短パンにレギンスもあり、ひざ上スカートも好き」(20代をひきずっていたのかな・・・?)

育児休暇から復帰~1年程「自転車だしカジュアルでいいや。膝は出したくないしやはりズボンが安心できる。育児中だし何でもいいや、時短勤務だし通勤途上は誰とも遭わないから~」(何を着ても許されると思っていた。もはや若くないし、自由感は半端なくある)

30代半ば「なんだか最近野暮ったい。ガチャガチャと色がたくさんあるし。遊びじゃないんだからきちんとしなくては。全身で3色に絞る?そんなことできる~?コーディネートをあれこれ考えるのはめんどくさいから大人な組み合わせで通勤専用服を決めよう。」

 

…という気持ちの流れを経て、今年の春頃から上下各2着に限定してくるくると毎日着まわしています。とても楽ですし、野暮ったくありません。はじめは、毎朝会う保育園の先生に何か思われるかな?と気にしましたが、今は全く何も思いません。思われていようがいまいが、どうでもよいのです。そうです、どうでもよいのです。「どうでもよい」って素晴らしい。気にならないってすばらしい!

そして夏という季節のおかげで全身が3色にまとめられています。靴と鞄が買い替え時期なので、色をどうするか考えているところです。

 

本日より7月になりましたが、個人的におすすめなトップスはやはりノースリーブです。カラッとした気持ちの良い今の時期、とても気持ち良いですよ。私は6月から着始めていました。少し肌寒い時もあるのでカーディガンを持ち歩いています。今の通勤服トップスはイエロー、ネイビーです。どちらともノースリーブで、カーディガンを肩に引っ掛けるスタイルで通勤しています。パンツは白、薄いピンクの2着です。

 

今気になっている本があります。「手持ちの服は似合うベースカラー3色に統一するとコーディネートが楽ですよ、おしゃれに見えますよ、あなたに似合う3色を見つけましょう」と書かれている本です。著者の方のブログをちょっと覗きまして、ぜひ読んでみたいと思いました。今の手持ち服もそうですが、買うものってだいたい色物を選んでしまいます。そしてコーディネートで全身に何色も使ってしまいごちゃごちゃするんです。通勤の時にとても恥ずかしくなります。勉強しなくては…

 

 

【レビュー】『母という病』

私の実母も毒親かもしれない、、、と思ったのは長男を出産した後のことでした。

 

実母のことで悲しい思いをしたり、苦しい思いをしたり、歯がゆい思いをしたり、精神的自立を阻害するような過干渉に腹を立てたり、、、 。実母はだいぶ特殊で、働き者だったり気遣いが行き届くので周りの評価は良いようですが、ずーっと一緒にいなきゃならない身内には精神的負担を与える人です。家族で性格が一人だけ違うのでしょうか、ただ相性が悪いだけなのか、私が執着して嫌悪しているだけなのかよくわかりません。長い親子関係のおかげで原因追及における感覚が麻痺しています。とりあえず受け入れられない人格、許せない過去がある、過干渉が不愉快すぎる、、、ということは事実です。「私の世話を焼くな!」という強い思いはずっとありました。大学進学と共に実家を出ました。そして結婚が決まったとたん実母だけが500キロ離れた私の住む市内へ生活の拠点を移してきました。父から離れたかったのが一番の動機でしょう。それまではドライな母娘でしたがその時から私に対する執着(依存?)が始まったように感じます。私の出産を機に何かと世話を焼いてくれる実母に、ただ「祖母として世話をしたいんだろうな、助かることもあるし、やりたいようにやってもらおう、それも親孝行」という思いで母親の親切を受け入れてきましたが、育児に介入、不愉快になると意地悪い発言や行動などの副産物ももたらされました。私も嫌悪感が増すと意地悪いことを言いました。子供のいないところで衝突が絶えませんでした。「母とムスメ」という縛りもあり本音に蓋をして実母を受け入れてきましたがストレスもありました。最近になり、ムスコが「ばーちゃん嫌い、家に来ないで」と言うようになり、ばーちゃんをグーで叩くことがありました。母とばーちゃんの不自然なコミュニケーション(会話をしていても目と目を合わさない、私が合わせたくないのと実母の方も合わせてこない)に気づいたのか、ばーちゃんの一方的なコミュニケーション(孫の話すことが右から左であまり聞いておらず、自分の言いたいことばかり話す)が嫌になったのかはっきりとはわかりませんが、とりあえずムスコに嫌われる我が実母。うーん、息子と実母の関係を取り持つべきか。。。とここでもまた「母とムスメ」に縛られて苦しい思いをしました。が、自分のメンタルヘルスを一番に考えることにしました。毎週来てもらっていたところを「ムスコがこういう状態だから、今日は来なくていいよ」とやんわり断り、それ以来連絡も途絶えています。実母の助けがなくても何とかなってたんだ、と気が付きました。おかずだって頑張れば一週間作れるし、多少自宅が散らかっていても気にしなければいいし、核家族化で幼児期に両親以外の人との関わりが心配される点は保育園がカバーしてくれるし。連絡が途絶えている今のところ、心が穏やかで実母の不安は影を潜めています。そしてその間、自分の中の母親との関係のトラウマを解決したくて、メンタル相談所に行ってみました。過干渉な母親、思い通りに動かしたくて子供を脅かす母親、先回りして世話を焼きたがる母親、外堀を埋めるようなことをする母親、言うことを聞かなければ言葉で攻撃する母親。いづれも私の実母です。学生時代は疑問に思っていませんでしたが、大人になった今は同じことをされると嫌悪感で思考回路がぐちゃぐちゃになります。夫(私の父)が冷たいから、ムスメ(私)に依存している気がします。父も「近くにいるんだからお母さんを頼りなさい、そのために送り出したんだからね」的なことを言って私を苦しめます。頼れだって?縁を切りたいくらい嫌いな人に?切りたいのに切れない苦しみがわかりませんか?二人兄妹で兄も見放した母親は私の方へやってきた。その苦しみがわかりませんか?私も見放して遠くへ行きたいものです。

 

本を読んで自分のことを顧みるいい機会になりました。スタート地点に立てたように思います。甘えるのが下手なのも、人との間に必ず壁を作ってしまうのも、オレオレ的な人がたいそう嫌いなのも、飲み会がとても寂しくて辛いのも、目の前のトラブルにまったく思考がストップしてしまうのも、一因は育った環境のトラウマにあると思います。過去を思い出して悲しくなります。あと、母親っていうのは何かしら娘を苦しめるものなのかな?という疑問もわきました。私も娘を苦しめるのかな?という一抹の不安はありますが、その気持ちを忘れずに家族を守っていきたいです。親は親、自分は自分。それから私とは違う価値観の家庭で育った主人にはとても助けられています。それなりに母親に対して思うことはあるみたいだけど健全な親子関係を築いているし、私にはとても救いです。結婚相手はよく選んで、良好な親子関係の相手と出会えると、人生は好転すると思います。「母親との関係が不幸なおかげで、それ以外がすべて幸福です」と思うようにしています。長々とネガティブなことを書き連ねてスミマセン。こういう人もおりますのでどなたかの救いになれるのであれば幸いです。

(017)母という病 (ポプラ新書)

(017)母という病 (ポプラ新書)

 

 

保育料を下げるための工夫①~医療費控除~のつづき

医療費控除を申請して1か月以上がたちました。過去記事↓

 

chiikaka.hatenablog

先日、還付金の通知が届きました。

3年分を申請し、還付金の合計金額はおおよそ2万円くらい。

ありがたい。

4月になり、保育料が前年度と比べて1万円下がりました(上の子が幼児クラスになったため。)7月になればさらに保育料変更の通知が来ると思います。(私の自治体では7月頃に保育料のランクが決定するのです。)変更にならないかもしれませんが、とりあえずそれが今一番の楽しみです。

 

働く主婦は時間があるのか?

ないです!作れば作るほど睡眠時間が削られていきます。

でも最近は、寝かしつけた後に翌日の晩御飯のメインディッシュを作ってみたりしています。そうすると就寝時間が2時とかになってしまうんですけどね。そのかわり夕方の晩御飯づくりがめちゃ楽です。子供にせかされながらする料理はとても辛いけれど、一人の時間にする料理は楽しいってことにここにきてやっと気づきました。コロッケとアジの南蛮漬けが以外にも簡単なことに気が付きました。成長したなぁ私。。。

おむつを脱いだらしばらく何も着てくれない

ムスメの話です。ここ数ヶ月私と夫を悩ませるムスメの行動。おむつをはきたがらず逃げ回ります。追いかけるのはとても疲れます。気力も体力も。こういうとき、ママさんたちはどんな神対応をされているのかリサーチしたくてたまらないのですがママ友が激少ないので聞く相手もおらず、とりあえず私のとる行動をアップしてみようと思います。

「うんちっち(又はちっち)をした」とムスメが訴える

おむつを脱がしておしりを拭く

新しいおむつを手に取ったところでムスメがそわそわし始める

手の届かないところへ逃亡

追いかけるがちょこまかと逃げ回る

諦めて「しばらくそのままでおりなさい」と言ってしばし様子見という名の放置

しばらくして、ムスメ「ちっち、ちっち」と言ってトイレへ行きたがる

トイレへ付き合い、ムスメが便座に座ったりペーパーで拭いて水を流すのを介助する

座る~水を流すの一連の行動を4~5回繰り返すうち、飽きてキッチンへ行く母親

ジャーっと音がするので見に戻ると、手洗いの水で遊び周辺を水浸しにするムスメ

もうおしまいね、と終了を促す

気が済んでいたらおむつを受け入れて解決/気が済まなければもうしばらく好きにさせる又は強引にやめさせる

という感じです。
眠たい時なんかにこれがあると「勘弁して~」という感じです。廊下に座り込んでうとうとしながらムスメを待つ母親。変な図です。ここで主人が登場すると序盤であっさりおむつを受け入れることもあり、主人は私にとってまさしく救世主的存在です。

よそのお宅はどんな感じなんでしょうかね。気になりますが、我が家はこんな感じです。
良い方法とは思えません。参考までに。。。

4歳になりたての息子に死について話したら…

主人と息子が二人でいた時に息子が「(マンション共用廊下のコンクリートの手すりを指して)ここを歩いたらどうなる?」と聞きました。主人は「バランスを崩して落ちて死んじゃうよ」と話しました。「落ちて死んだらどうする?」と聞くので「毎日泣いて暮らす」的なことを話したそうです。

息子は悲しくなって泣いたそうです。父さんが怖かったのかもしれないし、死ぬことが不安になったのかもしれないし、心細くなったのかもしれない。機会をもって私から、死について丁寧に話をしようと思いました。不安をぬぐって安心させてやらねば。

思い返せば私自身も、幼少時に死について意識した時期がありました。記憶にあるのは小学生低学年くらいでしょうか。親がいなければ生きていけない時期。親は先に死んでいく。その時になったらどうなるんだろう…と一人悲しく不安になっていましたっけ。まだまだ先の話なのに。親にそれを話したかどうかも覚えていませんが、話したとしても納得いく回答が得られたかどうかは怪しいです。大丈夫だよといいながらも親が先にいくことは事実な訳で。その事実は、4歳には苛酷かもしれません。幼児期のそういう気持ち、丁寧に対応していきたいです。

保育園でフルートを吹く

息子の誕生月だったため、保育園の月に一度の誕生日会に招待されました。年中~年長の全体の集まりで子供たちが歌を歌うのを聞いたり先生がペイプサートをするのを見たりしたあと、各クラスに移動して招待された保護者による出し物で楽しみました。我が家は夫婦で話し合った結果、私の特技のフルート演奏をしました。遠ざかってしまった楽器を久しぶりに手に取り、園児が喜びそうな曲を先生の伴奏と一緒に披露しました。技術は落ちているけど先生もこどもたちも楽しんでもらえ、特技がいかせたその時間は私も幸せでした。育児が始まってフルートから遠ざかっていても、トレーニングすれば技術は甦ることを感じました。今のところは練習時間は作れないけど、こどもが精神的に自立したりクラブで忙しくなっていけばまた作れるさ。