わーままタイムズ(仮)

出産、授乳期のことなどをメインに、2歳児と4歳児との暮らしのことなど。

家族でインフルエンザA型 2019年

今年もインフルエンザが全国で猛威を振るっていました。わが子が通う保育園も、児童も保育士も次々とインフルエンザにかかりました。そんな中、我が家も長男が罹り、娘にうつり、私(ママ)にもうつりました。どういう流れで過ぎていったのか、忘備録です。

 

■状況■

土曜日に息子発熱→月曜日「息子がインフルのため明日から数日お休みします」と上司に報告→水曜日出社して仕事を整えてまた1日休む。その晩娘発熱→娘インフル、木曜日に私も発熱→「娘と私インフルのため…」と上司に報告→3連休でみんな復活、火曜日から登園&出社→延べ10日ほどの闘いの日々でした

 

■登園許可と出社許可の条件■

保育園は、発熱した日を0日とし、翌日から5日間は自宅安静で、6日目から登園OK

会社は、発熱が治まって3日間は自宅待機

 

■まとめ■

インフルエンザなのだから無理していく必要はない。行けば周りにうつしてしまうので、ここは自分のためみんなのためにも休みましょう。会社に行かなくてよいちゃんとした理由があるのだから、気持ちを切り替えて自宅でゆっくり休んで早く治しましょう。

不要になったベビー用品を市営のクリーンセンターに持ち込んでみた

子供たちが赤ちゃん時代に使っていたベビーバスとお風呂用ベビーチェア。貰い手が見つからないことと部屋を整理整頓するため、廃棄することにしました。

 

クリーンセンター

私が居住する自治体は粗大ごみの回収(有料)をしてくれるし、市の施設に粗大ごみを持ちこんで廃棄をすることも可能です。回収であれば最も安くて400円。それ以上は廃棄する物のサイズに合わせて価格がアップします。過去に、一度に3個くらい回収を依頼して2000円ほど支払ったこともありました。持ち込みの場合、市内数か所のいずれかのクリーンセンターに持ち込めば100kgまでならたったの千円で引き取ってくれる仕組みになっています。今回、ベビー用品のほかにも壊れた家電、使わなくなったヘルメット、壊れた旅行鞄等がごろごろとあったので持ち込みして1000円で廃棄してきました。

初めての体験でいろいろと勉強になりましたのでそのまとめを。

 

クリーンセンターの敷地は広い

クリーンセンターは辺鄙な場所にある。どこの自治体でもそうなのかはわからないけれど、私のところはそうです。宅地からは離れた工業地帯だったり山奥だったり。そして敷地に進入しても人の気配がない。道路が伸びるままに進むと、さびれた看板が「家庭品持ち込みはこちら→」と道案内をしてくれるが、「本当に?」と不安で仕方ない。一本道なので戻ることもできずただ進むのみ。

受付で申し込み用紙の記入と現物を見せる

ようやくたどり着いた受付は割と人でにぎわっている。受付をすませた車が出ていくと、次々と新しい車がやってくる。さっきまでの一本道でのさびしい雰囲気は吹っ飛んで安心する。受付では受付用紙に個人情報と廃棄する物を記入し、担当の人に現物を目で確認してもらう。

車の体重を測定する(有人)

次に案内された場所にて車の全体重を計測。鉄板かコンクリートかの上に車ごと乗りつけ、運転手だけ降りて施設担当者の指示のもと、モニターに何かを入力する。(車体の重さ等が表示されて何やら登録するのだと思う)

廃棄場所にて廃棄する(有人)

次に案内された場所は廃棄場所。車をバックで駐車し、荷台から出した不用品を廃棄場所に投げ入れる。まだ使えるベビーバスやベビーチェアを担当者の人が放り投げる姿をみて胸が痛む。お世話になったな。。。と。不要になったから粗大ゴミに持ってきたわけなんだけど、物に思い出もあるわけだから、物の扱い方に配慮はあってもいいんじゃないかな。。。と担当者の人に改善の余地を感じる。

再び車の重さを測定、支払(無人

次に案内された場所にて再び車の全体重を計測。前回の重さとの差が廃棄物の重さということになる。コインパーキングみたいな装置で支払いを済ませて、全ての工程が無事に完了。

感想

子供の成長に伴い不要になるものが後を絶たない今の時期、廃棄物を持ち込んで安く廃棄できるのはとても助かる。ただし、思い出の品を捨てることは思い出も一緒に無くなってしまうような気がして少し切ない。思い入れのないものはガンガン捨てられるのに。いらなくなった絨毯や使わなくなってただただ邪魔になっているベンチとか、いつかは廃棄したいけれど今回の衝撃(思い出も一緒に放り投げられた感覚)を思うともう少し先にしたいところだ。

2歳になって再び活躍するトッポンチーノ

最近、2歳の娘が夜寝るときに枕を使いたがっていたので、久々にトッポンチーノを出したわけです。「覚えてる?あなたが赤ちゃんだった時に使っていた枕だよ~」と言ったら「おぼえてる!」と言って喜ぶのです。「ほんまかいな…」と内心思いましたが、本当かもしれません。毎日使っていましたから^^お布団で寝るとき、私の横にトッポンチーノを設置して、娘がそこに横になり、お気に入りのブランケットをかぶって、さらに私と共用の掛布団+毛布を被って寝るのが毎日のスタイルです。『わたしのまくら』というものをとても喜んでいます。1歳くらいで一旦はしまい込んでしまったトッポンチーノですが、こうしてまた復活したのでした^^過去記事も読んでみてください^^

 

 

chiikaka.hatenablog.com

 

義母から育児アドバイスを受けたときのもやもやした気持ちを整理する

お正月は主人の実家に帰省していました。義理兄ファミリーが来ず、私ファミリーと義理父母で過ごしたお正月でした。

もくじ

もやもやの原因は義理母に土足で踏み込まれたこと

今回は、義母からチクチクと育児の仕方に口出しされて若干の不快感を感じた休暇となりました。我が家はこうありき!とは言えず、「うーん、はいそうですねぇ」などと聞き流してやり過ごしていました。義母のグチのようにもとれるし、『もっとちゃんとしつけなきゃダメよ』的な圧力も感じつつ、最後にはよその家庭だったり義母自身の育児の時と比較して、要するに我が家のやり方を批判するわけです。これが実母だったらピシャリと言い返しますが、義母にはそういうわけにもいかず、言いたいこともまとまらず沸々と静かにハラワタが煮えたぎるような感じでした。「よそはよそ、うちはうちなんです」とだけ言うのが精一杯でした。

冷静になって考えると、主観の押し付け

要するに、義理母による主観の押し付けです。試行錯誤しながら育児することは、私や主人自身の勉強にもなるわけです。それをとやかく言うのははっきり言うと「主観の押し付け」です。そういうものを嗅ぎつけると敏感にキャッチしてしまう私なのです。良い機会なので、一応自分の育児というものを冷静に振り返ってみようと思います。

自分の育児を反省してみる

①時間のない朝「靴を履いて出発だ!」という時になって子供がふらふらと余計なことを始めると感情的になって怒る
②してほしいようにこどもが動かないとき、「これしないと、○○しないよ」と言って脅かす
③4歳の息子が外出先で「疲れた~抱っこして~」と言えば「いいよー」と言って容易に抱っこしている(主人が。)もっと励まして歩かせる方向にすべき?←義母が目をつけたのはコレ。「甘やかすな、私はもっと厳しくしてたわよ(だからあなたたちもそうすべきよ)」と匂わせることを言う←個人的には余計なお世話だ。
④私自信が温厚な性格だしあまり怒らないというか忍耐強いため、叱ることが少ない。厳しくしなさい、叱りなさいと言われると、加減がよくわからずヒステリーか虐待のようになる←一番辛い
⑤親の代わりにあれこれと注意してくれることに感謝できない←育児には関係ないけど、私自身に問題あり

まとめ

子育てと共に自分も成長していく…という感じです。まさに。義母は「厳しくしつけるのが育児」と考えています。おそらくご本人の育児の記憶は本人の中で脚色されていると思います。また、育てられる子供の個体差もおおいに関係しているし、兄弟の一人目なのか二人目なのか、男女の違いなどもパーソナリティに関係しているため、一概に「厳しく」というのは短絡的というか、子供を見ていないというか。。。母親と子供の相性もあるわけですし。…とまぁそういうことをアレコレと考えて過ぎていく正月でした。わが子の個性を見ながら、丁寧に接していきたいと思った次第です。大切なことを見落として間違った接し方だけはしたくないと思う日々です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ブログタイトルを変えました

ブログタイトルについてはこれまでも何度かマイナーチェンジしてきました。でもいつもしっくりこず、思いきってちゃんと考えてみました。それでも(仮)をつけているのは『気が変わるかも知れない…』という自信のなさの現れでしょう。今後もよろしくお願いします。

【レビュー】人魚の眠る家

映画の原作だとしり、すぐに手配して読んでみました。東野圭吾さんの本は過去に読んだ経験からすると、人が死ぬことが多く、とても暗いです。暗ければ暗いほど面白いのですが、鬱になる危うさもあります。(私だけでしょうか…)

人魚の眠る家』は人は死にますが、それはさほど悲しくはなく、死に至るまでの経過が辛かったり、関わりをもつ人たちに次第に生じる違和感というか、矛盾と言うか、よくわかりませんが、お母さんの気持ちを汲んだ結果、周りの人、特に子供が苦しむ姿が辛すぎました。

脳死した人と介護する人にまつわるマンガを読んだことがあります。とてもリアルで、切なくてむなしくて辛い思いをしました。介護の現場は壮絶、という印象です。

脳死とは、移植を待つ人のためにある制度』という描写(だったかな?)がとても衝撃的でした。心臓も脳みそもどちらも大事、一瞬の事故が大惨事になる。幼い子供を育てる親なのもあり、死の判断が心臓ベースか脳ベースかというよりも、まず事故を未然に防ごう、と思いました。幼いうちは子供から目を離しちゃいけないな…と改めて教えてもらいました。きっと本の主テーマからそれていると思いますが…

個人的な感想で恐縮ですm(_ _)m

疲れた時はお父さん

職場が変わりストレスと疲労が増えて、子供の相手もとてもついていけない毎日。次々と「おかあさん」「ねえ、おかあさん」と声をかけられる。返事はしてるけどのっぺらぼうの疲れはてた表情のまま応答することが増えました。まるで本に書いてあるようなベターな展開。ここで気持ちを切り替えてきちんと子供の相手ができるお母さんもまた、本に書いてあるような模範的なお母さんですな。私は、疲れたまま相手をしてしまう、余裕のない母です。いつのまにか実母のようになっていることに、今、気が付きました。いかんいかん。

 

予定していたギョーザが作れず、急遽野菜炒めにしたら息子が嫌がりました。手作りのギョーザがよかったみたいです。スーパーで成形済みのギョーザがなかった時に「手作りするから時間がかかるけどいい?」と確認までしていたのに(その瞬間までは頑張る気でいた)、野菜炒めに勝手に変更してしまった私の過ち。なんとも自分勝手です。で、息子が泣き叫んで猛反発をしました。

 

そういう時は、「まぁまぁ、とりあえずは作ったものをたべながら父の帰宅を待ちましょうヨ。ギョーザは明日作るからさ^^」と平謝り。そして父に「帰るときに〇〇を買ってきてください」とお願いする。こういうパターンが割と多い我が家にとって、我が家の父は「救世主」のような神々しい存在です。息子にとっても、ね。父よ、救世主たれ!